バンクーバー ワーホリ体験談 Ayumiさま

【2019年の記事です。】

バンクーバー到着

私がワーキングホリデービザを取得し、カナダのバンクーバーに来たのは2006年の6月下旬。

ちょうどサッカーワールドカップドイツ大会が開催中で、自国を応援する人々の様々な国旗が街に溢れ、多民族文化をまず実感させられた瞬間でした。

最初の3ヶ月は本当に天気のいい日が続き、9月に入るまで雨が降ったことはなかったと思います。

後で知ることになりますが、この3ヶ月が、バンクーバー市民が毎年待ち焦がれ、あっという間に過ぎ去ってしまうバンクーバーの短い短い夏です。

ワーキングホリデーを決めるまで

ワーキングホリデーでの海外生活を最初に考えたのは、就職活動中の大学生の時だったと思います。

旅行ではなく、海外にある一定期間住んでみたい、という夢は子供の時からありましたが、就職氷河期と言われる中での就職活動に、正直疲れたのもあったと思います。

要は逃げたんだな、と自分でも思います。

大学卒業後、親に2年間の猶予をもらい、フリーター生活をしました。

バイトを掛け持ちしましたが、日々の生活に追われ貯金ができる状態ではなく、それでも親との約束の2年間が経とうとする頃に、意地と見切り発車でワーキングホリデービザと航空券を手に入れました。

カナダでのワーホリを選んだのは、なまりのないアメリカ英語の取得と、金銭的に一番リーゾナブルだったように記憶しています。

バンクーバーという都市を選んだのも、よく住み安い街と言われていたからです。

1年の間に、カナダの他の都市に行ってもいいな、と漠然と考えていました。

留学エージェンシーの利用法

留学エージェンシーの利用の質問も良く受けますが、私自身はワーキングホリデービザを取得するにあたって、留学エージェンシーなどを利用しませんでしたし、現地に着いてからESLの学校にも行きませんでした。

また、ホームステイの経験もありません。この点については、よく驚かれますし、私自身、私の親はよく平気だったなと思う点でもあるのですが、単純に私にお金が無かっただけの話です。

ただ、私にはバンクーバーでのワーホリ経験者の友達がいました。

彼は1年前にバンクーバーにワーホリで滞在していて、私がバンクーバーに来る1ヶ月前に日本に帰国しました。彼からたくさんのバンクーバーでのワーホリ情報と、まだバンクーバーに残っている頼りになるお友達を紹介してもらいました。

そして、そのお友達にも大変お世話になり、バンクーバーに着いたらすぐにすべきことといわれていた、社会保障便号(SINカード)の申請や銀行口座、携帯電話の契約など、いろいろ案内してくれました。

<p>新しい住居が見つかるまでの2週間ほど泊めてもくれました。

本当に図々しかったと思います。

もし、バンクーバーに誰も知り合いがいないという人には、留学エージェンシーの利用を勧めるかもしれませんが、利用の仕方には気をつけたほうがいいと忠告もすると思います。

びっくりするような料金を払って、現地で何にもサポートしてくれない、なんていう留学エージェンシーの話も聞いたこともあります。

そんなエージェンシーはもっての他ですが、私の忠告はむしろ評判の良い留学エージェンシー利用の際です。

安心をお金で買いたい気持ちはわかりますが、あまりにもどっぷり頼りにしてしまうと、せっかくのバンクーバー生活が日本人コミュニティでの生活で終わってしまうからです。

バンクーバーでの生活

バンクーバーは旅行先としても留学先としても人気で、そして本当にたくさんの日本人が住んでいます。

それゆえ、日本の食料品や調味料も比較的手に入り安いですし、日本人にとって住み安い都市ではあると思います。

特にダウンタウンを歩いていて、日本語の会話が聞こえてこないことはありません。

これは大げさでも何でもなく、日常です。中には、学校へ行っても、クラスの半分が日本人、なんて話を聞いたこともあります。

また、日本人同士でシェアハウスに住んでいるワーホリの人も多いです。

そんな状況ですので、自分で気をつけていないと日本人コミュニティで日本人の友達と1年過ごして帰国する、という状況が簡単に成り立ちます。

でも、状況を言い訳にして日本のコミュニティで甘んじて過ごすか、そんな状況の中でも自分で真の海外生活環境を追求していくかは、その人次第です。

大切なのは、自身の意識の問題です。

もちろん人それぞれの人生ですから、どんなふうに過ごしたのであれ、1年間海外で過ごしたという事実に満足している人を否定するつもりもありませんし、他人の海外滞在経験の良し悪しを決めれるような立場にもありません。

<p>人それぞれワーホリの目的や優先順位があるでしょうし、もし、最優先項目が「とにかくたくさん友達を作る」というものであるなら、日本人コミュニティで過ごすのも、何の問題もありません。

でも、もし、最優先項目が「英語を話せるようになる」であったならば、エージェンシーに依存しすぎたり、何気なくバンクーバーで1年過ごしてしまうと、100%失敗に終わるでしょう。

1年海外に住めば、何もしなくても誰でも英語がぺらぺらになって帰ってくるなんて、ただの夢物語です。

英語上達法

「どうしたら英語が話せるようになりますか?」という質問をよく受けますが、私は私自身の英語をまだまだだと思っていると答えます。

先輩からの受け売りになりますが、英語の勉強にゴールはありません。

英語圏で生活すると決めた限り、一生勉強です。

日本語にも流行語があるように、言語というものは日々変化します。

ネイティブである主人が感覚的に捕らえる変化を、ノンネイティブの私は言葉で説明されても全部は理解できなかったりもします。

ネイティブが身近にいる分、自分との差をはっきりと至るところで思い知らされるのです。

でも、ワーホリや留学で来られている若い方々にそんなことを言っても夢のない話なので、「一番の英語の上達法は、英語で話さなければいけない環境に、敢えて自分を追い込むことです。」と続けます。

勇気のいることですが、敢えて自分で逃げ道をふさいでしまうのです。

「日本人の方がいて安心しました」といってくださる方も多いのですが、本当に英語を習得しようと思っているのなら、海外に来て、日本語を話せる日本人がいてほっとしてしまった時点で、負けなのです。

ワーキングホリデー当時の私の英会話のスキルレベルは、日本で「少し英語できます」というレベルだったと思います。

日本大好きな外国人が日本にやってきて、ゆっくりと英語を話してくれて、相手が私の片言の英語を忍耐強く聞く努力をしてくれて、やっと会話が成立できる、といった程度です。

英語は子供の頃から成績もよく、自分でも得意だと思っていたので、大学も英文学科に入りましたし、日本で生活する中で、他の人よりは少し英語ができるということに自負していた自分もいたと思います。

でも、それはバンクーバーで現地生活を始めたときに打ちのめされます。

すごく厳しい言い方をしますが、日本で英語ができる、というのと、海外で英語ができる、というのは意味が違うのです。

先ほど申し上げたように、私自身はESLの学校へ行きませんでしたが、学校へ通うことを否定もしませんし、むしろ最低限の英語力が身につくまでは、学校に行ったほうが良いとも思います。

ただ、学校で習う英語と実際の生活で使う英語は必ずしも同じでないことと、学校の先生はあくまでもそれを職業としている、という事実を覚えておくことです。

学校に行っただけで満足するのではなく、せっかく就労ビザをもらえるのですから、現地で就活し、学校とは違う生の英会話を経験するべきです。

バンクーバーでの就労

「バンクーバーで仕事は見つかりますか」という質問もありますが、日本でいうバイト形態の就労なら、選り好みをしなければ仕事はあります。

SUSHIは大変人気で、バンクーバーにあるお寿司屋さんの数は、東京のそれより多いといわれています。

ただ、日本人の考えるお寿司とは確実に違い、こちらではファストフードのような感覚です。

また日本人オーナーでないところが多く、日本人からすると不思議な行程でお寿司や和食を作っていたりもしますが、キッチンやウェイトレスなどは日本人を雇っていたりもします。

ただ、この場合、先ほどの学校と同じ状況で、職場の半分以上が日本人といった状況もめずらしくありません。

バンクーバーに来てまでジャパニーズレストランで働きたくない、というワーホリの方も多いですが、実際には英語力や金銭面から、どうしてもそういった場所で働かざるを得ない状況になることもあるように思います。

私自身の話をすると、ワーホリ中はイタリア人オーナーが個人経営するカフェで働きました。

忘れもしないのは、最初にオーナーとお茶をしながらカジュアルな面接をしたときに、English、Poorと思いっきり私の履歴書に書かれたことです。

恥ずかしいを通り越して、笑ってネタにするしかありませんでした。

日本で大学で英語を専攻した結果がこれです。

それでも、日本人は真面目で勤勉という印象があるようで、雇ってくれました。

ただ、やはり仕事内容は接客よりも雑用が中心でしたし、労働基準法にも抵触しそうな雇用形態で、シフトなどもお客さんの入り次第で急に変わったり、決して他人に勧められるような職場ではありませんでした。

私の英語力不足で足元を見られた感はありましたが、職場環境としては、他に日本人はおらず、みんなと仲良くやっていたのもあり、ワーキングホリデービザが切れるまで働きました。

ただ、不安定なシフトスケジュールが収入の不安定さにもつながり、最後の3ヶ月間は、友達がマネージャーをしているジャパニーズレストランでも働かせてもらいました。

ここは半分が日本人、半分が中国人といった職場環境でした。

私は、この2つの職場で収入と英語環境のバランスをとりながら生計をたてました。

でも、ビザが残り3ヶ月という状況で、新しい仕事を始められることはほとんどないと思うので、それに関しては友達に感謝です。

ほとんどの場合、半年以上のビザの保持者が優先されると思いますし、求人募集ポスターにそう書かれていることも多々あります。

つまり、ワーホリビザを取得した後、3ヶ月学校に行く予定の人は、学校が終わったらすぐに仕事探しをしたほうがいいと思います。

他のワーキングホリデー利用者の例

これは友達の話になりますが、彼女はバンクーバーで3ヶ月学校へ行った後、エージェンシーを利用して、観光地での住み込みのバイトを斡旋してもらいました。

ロッキー山脈の麓の小さな町のリゾートホテルでメイドの仕事をしています。

不安もあったと思うのですが、日本人のいない小さな町に一人で飛び込んでいった彼女の覚悟を感じました。

今では、休みの日も職場の仲間と楽しく過ごしているみたいです。もちろん、同僚に日本人はほとんどいません。

最後に

こちらに来て日本人コミュニティを離れて感じたことは、「カナダに日本のようなカスタマーサービスは存在しない。

でも、本当に手に入れたいものは、みんな自分で動いて、自分の手でつかみに行く。」ということでした。

カナダでは、日本のように次から次へと至れり尽くせりでお世話なんてしてくれません。

1つ身近な例を挙げると、宅配便。日本のように何度も再配達なんでしてくれません。

時間指定もできないにも関わらず、最初の配達時を逃してしまった場合は、郵便局に自分で取りに来てください、というメモが残されるのみです。

しかも、1週間以内に来なければ、送り主に返送します、と。どれだけ上から目線なんだ、と思ってしまいますが、荷物を手に入れたければ、雨が降っていようと、自分の車を持っていなかろうと、自分で動いて取りに行くしかないのです。

でも、まさにこの宅配便と同じように、自分の手に入れたいものは自分で動いて、自分で手に入れに行く。

日本のように、待っていたら誰かが気づいてくれるわけでも、お知らせメールを送ってくれるわけでもないのです。

最初はカスタマーサービスの酷さにイライラもしましたが、今となってはこの自主性と自己責任の習慣を少しリスペクトしつつあります。

自分からアクションをとることは、確かにたくさんの労力を伴います。

精神的にも、肉体的にも疲れます。不安もあるでしょう。もちろんリスクも伴います。

痛い目にも遭います。

泣かされることもあります。

でも、それらの負のエネルギーをうまくプラスのパワーに変換できれば、それは一生を通しての大きな財産になります。

頭でっかちになっていろいろ考えたり、不安ばかり募らせるよりも、先ず自分で行動してみること。自分の可能性を自分で決めてしまわないこと。

多民族文化の生活の中で、自分がそうであるに違いないと思っていたことが、1面にすぎないことに気づき、実はたくさんの側面があることにも気づきます。

物事の答えは、いつもひとつではないのです。

バンクーバーという都市には、文化や言語の違いによって起こる障害を、逆に楽しめる寛大さがあると思います。