ワーキングホリデーに出かける前は、全く海外や英語に興味がありませんでした。
もちろん、ワーキングホリデーという制度があるということも知りませんでした。
しかし、仕事の研修と新しいプログラムを勉強するためにアメリカに滞在した時、まだまだ自分が知らない世界がたくさんあることを知りました。
アメリカで何人かの日本人と出会い、その人たちの暮らしやアメリカの習慣、日本との違い等、色々な話をたくさん聞く機会がありました。
どの話も今まで聞いたことがない話や体験談ばかりですべてがとても斬新で新鮮に聞こえました。
また、観光も兼ねて色々な場所にも連れて行ってもらいました。
車窓からの景色は日本では見たことがなく、また今まで想像もしたことがない景色がどこまでも続き、毎日が感動と驚きの連続でした。
このアメリカでの研修旅行をきっかけに、まだまだ自分には知らない世界がたくさんあることを知り、もっと自分の視野を広げ、様々な経験を積みたいと考えるようになりました。
また、アメリカ滞在中に、ビザの話や、アメリカでよく出ている日本人向け求人情報や、カナダやオーストラリア、ニュージーランド等はワーキングホリデー制度を利用すれば、仕事をしながら滞在することが可能ということを教えてもらいました。
帰国後早速、どうすれば海外に長期滞在することができるか詳しく調べた結果、ワーキングホリデービザを利用して、カナダに1年間滞在するのが最も効率が良く、自分がやりたいことができる滞在方法だと思い、カナダにワーキングホリデービザを利用して行くことに決めました。
最初の渡航先は語学学校の多さでバンクーバーに決めました
最初はカナダに行き、異文化交流がしたい。
今までと全く違う生活を体験してみたい。ということだけを考えており、具体的なプランや目的は何も考えていませんでした。
身近にワーキングホリデー経験者がおり、もっと具体的なプランを考えた方が良いとのアドバイスがあり、それからやっと色々と具体的な計画を考え始めました。
最初に思いついたのは、まず3か月間ほどESLに通い、その後は仕事をしてワーキングホリデービザが切れる頃に貯めたお金で旅行をして日本に帰国するというものでした。
しかしこれではプランが明確ではないとアドバイスを受け、カナダで何ができるのか、何がしたいのか等、インターネットや留学関係の書籍、旅行ガイドなどで細かく調べ情報を収集しました。
その結果、ウィンタースポーツが盛んな国カナダで、大好きなスキーを北米最大級のスキーリゾート地「ウィスラー」で、より高度な技術を働きながら身につけ、スキーシーズンが終わったらウィスラーを離れ旅行に出かけ、日本に帰国するという明確な目的を定めることができました。
ワーキングホリデーの最初の滞在都市は「バンクーバー」でした。カナダ最大の都市「トロント」も滞在候補都市の1つでしたが、自身がワーキングホリデーに出発する時、日本からトロントまでの直行便がなく、バンクーバーで乗り換えが必要でした。
英語が不慣れで海外での国際線から国内線の乗り換えに不安があったことや、ウィスラーを長期滞在地として決めていたので、ウィスラーまでのアクセスが良いこと。
冬はトロントよりバンクーバーの方が気温的には過ごしやすいこと。
バンクーバー市内には大小合わせて200校近い語学学校があるので、自分により最適な語学学校がトロントよりバンクーバーの方が見つけやすいだろうと思ったので、バンクーバーに滞在することに決めました。
イタリア系のホストファミリー
ワーキングホリデー出発前に色々悩みましたが、やはり到着後すぐに生活できる家は事前に確保しておきたいこと。
空港からバンクーバーまでの自力移動に不安があったこともあり、日本から3か月間のホームスティ先(1か月毎の更新)と空港からホームスティ先までの送迎、3か月間のESLの申し込みをしました。
ホームスティ先の希望は「え?ここまで聞いてくれるの!?」と驚くほどかなり細かい部分までリクエストを聞いてもらえたのが良かったです。
また、日本にいる時にホームスティ先の家族構成や住所、名前なども教えてもらうことが出来、日本にいる時にホームスティ先に手紙を書いて挨拶や自己紹介をする余裕や時間があったのもサービスが行き届いていて良かったと思いました。
自身の希望は、学校から近い。
多少は構ってくれたり話しかけてくれる家族。喫煙者OK。小さい子供がいない。
を希望し全ての希望を兼ねそろえた家族でした。
自身は、ホームスティは自分だけだと思いこんでいたので、他にホームスティをしている留学生がいるかどうかということを全く考えていませんでした。
しかし、ホストファミリーの中には複数人の学生を受け入れている家族もいるので、自分以外にも学生を受け入れているか否かの確認は重要だと思いました。
ホームスティ先の家族は4人家族のイタリア人で、大学生の女の子と、自分と同じ年齢位の男の子(トム)と、ホストマザー(アン)とホストファーザーがいました。(子供2人はカナダ生まれ、カナダ育ち)
トムが喫煙者だったこともあり、嫌煙大国のカナダで、喫煙に関して寛大で何も不平や不満は言われませんでした。
アンは専業主婦で家のことは何でもしていました。
イタリア人ということもあり、いつも自家製ピザを焼いて出してくれました。
イタリア人にとってピザを家で焼くことは当たり前ですが、自身にはとても新鮮な経験で毎日手作りピザが食べられるのが嬉しかったです。
また、食事は全てイタリア料理だったのも嬉しいポイントでした。
ホームスティ先は基本的に何もしなくてよく、掃除、洗濯、料理、お弁当の準備等、全てをアンがしてくれました。
さすがに、自分の部屋の掃除と洗濯は自分でしたいと思ったのですが、逆にさせてくれず、アンが全てしてくれることに逆に戸惑いを感じました。
下着だけは何回も何回もお願いして自分で洗わせてもらうようにした位、至れり尽くせりのホストファミリーでした。
アンは多少どころかいつも構ってくれて、学校から帰るとその日の話を色々聞いてくれました。
また、アンはダイエットのために夕食後に毎日散歩をしており、それに毎日連れて行ってくれました。
アンはホストファミリー仲介エージェントから留学生の前で母国語禁止と英語を間違えていたら教えてあげるように言われているので、イタリア人の友達と散歩に行く時は私と一緒に散歩に行くのを渋る時がありました。
しかし、アンとの散歩が毎日楽しかったので、イタリア語で会話をしても気にしないことを伝えて、ほぼ毎日散歩に一緒に行きました。(アンは事後アンケートで私が、自分の前で母国語を使うと記載されるのが不安)
散歩中は色々英語を教えてもらったり、イタリアの話やイタリア料理の話、アンが初めてカナダにきて英語に苦労した話などたくさんの話ができて、今でもホストファミリーと過ごした中でアンと一緒に散歩に出かけたことが一番楽しかった思い出の一つです。
日本人が少ない語学学校に行きました
バンクーバー市内には大小200校近いESLがあり、様々な特色やサービスがあります。
最初はたくさんありすぎてどこのESLに行くか迷いました。また、最初は日本人が少ないESL位しか希望が思い浮かびませんでした。
しかし、たくさんのESLの特徴を調べている間に自分の方向性がかなり具体化していき、日本人が少ない。少人数クラス。
レベル分けが細かくて厳しい学校を探し、それにぴったりあてはまるESLに3か月間通いました。
ESLの初日の午前中は英語のレベルチェックテストで、聞く、話す、読む、書く、文法の全てのテストを行いました。
午後からは、各母国語に分かれてオリエンテーションがありました。
この学校はクラス分けが細かいのが特徴で、午前のクラス(文法中心)と午後のクラス(会話中心)でもレベルも先生も分かれました。
また、金曜日の2コマ目は自由選択授業で、発音や会話、文法、リスニング等の中から自分で好きな授業を選択することができ、より自分の弱点を克服できるようにカリキュラムが組まれていました。
また、授業後に、補修コースがありました。
発音やリスニング、会話、宿題などにクラスがわかれており、好きなクラスを事前に(その日のお昼ごろまで)選択して受講することができました。
自身は週に2回から3回ほど、宿題クラスや発音のクラスを受講していました。
このESLは他にもコースをたくさんもっておりより実践的な英語を学べたり、仕事に役立つ資格が取得できるコースも設けていました。
英語を使う機会は仕事中全くなく100%日本語環境の仕事でした
楽しかったESL生活もホームスティ生活も終わりを迎える頃、仕事について考え始めました。
仕事は、「英語環境」と決めていましたが、バンクーバーからウィスラーの英語環境の仕事を決めるのは難しいと感じたのと、バンクーバーからウィスラーの現地情報の詳細を入手する方法が少なかったので、日本のコミュニティサイトを通じてウィスラーの求人を探しました。
2件ほどウィスラーにある日本食レストランを面接し、「ウィスラーに家が見つかり次第すぐに雇う」と言ってくれたレストランのキッチンで働くことになりました。
しかし、面接でホールスタッフはほぼ全員カナダ人。
ホールマネージャーもカナダ人。キッチンスタッフの一人は日本語があまり話せないので、英語環境で仕事ができるという説明でした。
しかし実際にはホールスタッフと出勤時間も退勤時間も違い、ほとんど交流がありませんでした。また、日本語があまり話せないキッチンスタッフも、キッチン用語の日本語は通じるので英語を使う機会は仕事中全くなく100%日本語環境の仕事でした。
そのため色々悩みましたが1か月ほどで日本食レストランを辞めて、英語環境の仕事を探しました。
レストランで、食器を下げ、次のお客のためにテーブルを綺麗にセットするバッサーの仕事をしました
次の仕事先は、カナディアンのレストランのバッサーでした。
カナダのレストランの多くが仕事を分業しています。オーダーを取り食事を運ぶウェイトレスと、席までお客を案内する人は違います。
食器を下げ、次のお客のためにテーブルを綺麗にセットするのはバッサーの仕事です。
時給は最低時給でしたがチップが少しもらえるし、100%完全に英語環境だったので、ずっと続けるつもりでしたが、フルタイムで仕事に入ることができませんでした。
日本からの蓄えを使わずに生活するにはどうしてもフルタイムの仕事が必要だったので、この仕事はとても残念でしたがすぐに辞めてしまいました。
次に見つけた仕事は、ウィスラーに3店舗お店を構えるお土産物屋でした。
3店舗合わせても日本人は自分しかおらず完全に英語環境でした。
スタッフメンバーは自分と同じようにワーキングホリデーでカナダに来たイギリス人2人とオーストラリア人1人とカナダ人の店長でした。
他の店舗には、スキー&スノーボードシーズンだけ住んでいる(日本で言うリゾート地バイト)フレンチカナディアンの女の子やオーストラリアやニュージーランドからワーキングホリデーで来ていた子がいました。
時々訪れる日本人観光客の方が買い物で訪れた時だけ日本語で接客し、他全てが英語環境での仕事でした。
北米最大級のスキーリゾート地だけあり、地元の人はもちろん世界中から観光客が訪れる場所で、英語が出来ない人や、英語が苦手なお客さんもたくさんいました。
また、同じ英語でもカナダではほとんど聞く機会がない、イギリス英語の方や、アクセントや発音が違う英語を話す方もたくさんいました。
また、スタッフが話す英語も全部違うので、最初はかなり戸惑いましたが英語環境で働ける喜びの方が多くあまり気になりませんでした。
仕事の内容は主にレジや接客でした。他に、商品の陳列やディスプレイ、納品された商品の確認や、レジの閉め、銀行へ売り上げの入金等でした。
飲食店の多くは最低時給で、飲食店が多いウィスラーでは最低時給で働いている人たちがたくさんいました。
その中で、お土産物屋の時給は最低時給プラス2ドル位だったので、飲食店のようにチップはありませんが飲食店に比べると少し時給は良い方でした。
ウィスラーは観光地なので他の都市と比べると物価や家賃が高く、また遊びたい遊び(スキーやスノーボード)にお金がかかるし、遊びたい盛りの人たちが集まっているので、何かと遊びにお金がかかりましたが、1日8時間、週休2日フルタイムで働いて、ギリギリ生活できるだけの収入を得ることができました。
カナダでできた友達とは今でもフェイスブックでつながっています
アルバイト先で知り合った人たちとは、ほぼ毎週クラブに出かけたり、パーティをしたり、店長がいない日はみんなで仕事をさぼってみたりと、みな仲が良く和気あいあいでした。
経済的には少し大変でしたが、毎日が楽しく充実しており、お金では得ることが出来ない貴重な経験を積むことができ、楽しく生活することができました。
その人たちとは今でもフェイスブックでつながっており、良い友達が世界中にできてとても良かったと思っています。
1年はあっという間に過ぎるので、いかに日本滞在時に細かく計画を立てるかが重要だと思います。
また、お金は出来る限り貯めて、英語もできる限り日本で勉強すると良いと思います。