ワーキングホリデーをしたきっかけ

日本で公務員の専門学校に通っていた時のこと、ふと授業中によく考えていた事があった。

「海外で生活がしてみたい。」

高校生の時からずっと思っていた事だった。

でもどうせ英語も喋れないし、大して英語テストの点数も良くない、まあ自分には縁のない事だろうと諦めていた。

「自分は公務員になるって決めたんだ。だから余計なことは考えないようにしよう。」そんなふうに言い聞かしていた。

公務員になろうと思った理由はいたって単純、安定した収入を求めたから。
でも何かが引っかかっていた。

なぜかしょっちゅう洋楽や洋画を見るのが好きだった自分は、あの自由な文化と人が大好きだった。海外を取り扱ったテレビ番組も大好きでよく見ていた。

サッカーをやっていたこともあってか、海外サッカーにもとても興味があった。
地元は海外からの観光客も多く、なぜか彼らと話すのが好きだった。もちろん片言の英語で。そんな自分は専門学校を卒業後、結局公務員にはならなかった。

普通の会社に入り、その会社も辞めてしまうなど、全く筋が通っていない生活を送っていた。

その時ふと思った。もうどうせただダラダラ生きているだけなのなら、思い切ってやりたいことをやろう。

以前からワーキングホリデー制度を知っていたので、バイトを掛け持ちしてお金を貯め、ワーホリをしようと決意した。

140万円を貯金した

明確な目標が決まってからは、いきなり普段からワクワクしてくるようになった。
当時の目標は150万円を貯めてカナダでワーホリをすること。今思えばそこまで貯める必要はなかったのだが、その時は本気でそれくらい必要だと思っていた。

フリーターだった自分はバイトを2つ掛け持ちしてお金を貯めた。月に6万円づつ貯金し、最終的に140万円貯めることに成功した。

期間は2年を要した。当時の彼女には一緒に来ないかと誘ったが、まさか異国の地で言語も違うし生活ができるわけもない。お金もかかる。別れを決断するしかなかった。

なぜそこまでして行きたいのかと引き止められることもあったが、自分でも分からない、長年諦めきれなかった夢だったので挑戦してみたいのだと説得した。

別れは本当に辛かったが、自分が止められなかったし、若いうちに経験しておきたいという気持ちも強かった。

両親は基本的に子供に口出しする人達じゃないので説得する必要もなかったが、やはり別れは悲しかった。

ワーキングホリデーはたったの1年だが、その時は凄く長く感じられた。
出発前日、なぜか家族の前で泣いてしまった。今ではなぜ泣く必要があったのかと笑えるのだが。

おそらくその時、ワクワクもあったが不安の方が大きかったのも影響していた。

なぜなら英語も大して勉強してこなかったからだ。3日坊主の性格もあり、いつも英語を勉強しようとしても続かなかった。

お金を極力使いたくなかったので、英会話スクールにも行かなかった。自分が決めた選択なのに、こんな自分がカナダで生きていけるのだろうかと、直前ではあるが不安で一杯だった。海外旅行は一度だけした事がある。

その一度も、学校のプログラムで行ったシンガポール集団旅行について行っただけ。
一人で行くとなると、もうほとんど初めての海外経験に等しかった。

全てが初めての経験になるので、ワクワクというより不安しかなかったのを覚えている。

トロントへ

場所はカナダのトロントを選んだ。なぜトロントを選んだのかというと、トロントは人種のモザイクと言われる程、多種多様な国から人々が集まっているからだ。

要するにカナダ人だけでなく、世界中から移り住んで来た人々がいるので、カナダをベースにいろんな国の文化を知ることが出来る。

自分は海外経験がほぼなかったので、世界を知りたいとずっと思って生きてきた。日本で育ち、日本の文化しか分からないので、この地球にいる以上広い世界を知りたかった。

それには、やはりそこに行かないと分からない。なので、トロントは自分にとってぴったりの場所だった。

ホームステイ

初めはホームステイを選んでカナダ生活をスタートした。カナダ人のホームステイ先のホストはとても優しくとてもフレンドリーで、家の中は絵に描いたようにとても綺麗だった。

大きな庭があって、お風呂とトイレが一緒で、家の中に洗濯機と乾燥機があり、全ての部屋が大きく、ベッドも大きく、テレビをつければカナダの番組が見れて、と、当たり前の事だが全てが新鮮だった。

家には近所の人が良く来たり、ホストの友達が遊びに来たり、ホスト先の両親が来たり、なんかあったら家でホームパーティーしたり、いつも賑やかだと感じた。

街へ行けば、これも当たり前だが全てが外国人で新鮮だった。トロントは元々黒人、白人、黄色人種が多種多様に入り混じっているので日本みたいに電車に一人白人が居たら目立つ、なんてことは無く、自分のようにアジア系の人もたくさんいて驚いた。

レストランやファーストフード、ショッピングモールなどに行けば気付くのだが、ここではお客さんと店員というような垣根はなく、全ての人が友達、といった雰囲気だ。

お客さんと店員さんがたくさんお喋りすることもここでは普通である。
例えばお客さんが店に来た時、「ハーイ」と店員さんが言えばお客さんも「ハーイ」と返す、というのが基本で、なんだったらそこから会話が始まるというケースも。

例えば常連客が来た時に店員さんが「Hi、How are you?」と言うと、お客さんが今日あったことや世間話を始めるといった具合だ。
大きな店や客が並ぶような店なら会話する暇もないので、もちろん全ての店ではないが、大体はそんな感じである。

逆に客と店員がケンカしているところも見たことがある。まあそれは本当に稀なケースだが、変な客が来たら店員もそれなりの対応をとるというだけの事。

バスに乗れば運転手と世間話している乗客もいたり、バスから降りるときは「Thank you」と言って降りる人もたくさん。
バスだけじゃなく、買い物をしたりする時はお客さんが「Thank you」と言ってお会計を済ます。

あと、公共の場所で扉を開いた時は必ず後ろの人の為に扉を開けておいてあげる。こんな感じで、みんながフレンドリーで親切、そんな印象を持った。そしてこの街には、各国の人が集まるコミュニティが存在する。具体的にあげれば、中国街、韓国街、ポルトガル街、イタリア街、インド街、ギリシャ街など、各国のお店が集まる街がたくさん存在する。

全ての人が英語を共通言語として話すが、同じ国同士とは母国語で話す。街を歩いたり電車に乗れば、韓国語、中国語、ポルトガル語、イタリア語などなど、各国の言語が聞こえてくる事なんてざらにある。

いろいろな人種が色んなところに混じり合って暮らしているので、トロントのカナダ人からすればそれが普通。
もっと言えば中学や高校などにも、必ずと言って良いほど英語が話せない生徒がゴロゴロいるらしい。

それくらい、毎年新しい移民が移り住んできているという事だ。
そんな中でもカナダ人達は彼らを受け入れ、文化や英語をいつも教えている。だから、自分のように英語が話せない人がいても、もう慣れているようだった。

語学学校「Connect school of languages」に通う

トロントに来て早々、ESL(English as a second language)という、要するに英語を母国語としない人達に向けて作られた、英語を教える学校に通った。

自分は「Connect school of languages」という学校に通った。 このESLが、自分にとっては唯一の救いだった。

なぜなら右も左も分からない、英語も話せない、聞き取れない、何が何だか分からない、来た当初はそんな感じだったからだ。

思えばカナダの空港に降り立った時のことである。トイレに行きたかったので空港スタッフに声をかけ、トイレはどこか聞こうとした時、言葉が出なかった。
(あれ、「トイレどこですか?」って、なんて言うんだっけ、、、)
本当にこんなレベルだった。

こんな事じゃ生活もしにくいと思い、ESLに通うことにした。「Connect school of languages」を選んだのは、いくらか日本人も通っているという理由からだった。後は見学した時に感じたフィーリングなど。人によってそれぞれだと思う。

やはりここまで英語が分からないと、多少日本語を話せる環境が必要だと自分の場合は思った。結果このESLでたくさんの友達もでき、基礎的な英会話を覚えることが出来た。

学校では何でも教えてくれるし、友達と情報交換できるだけでなく、学校のイベントでトロントの名所にも案内してもらえたりした。
自分と同じようにカナダに来たばかりという仲間がここにはたくさんいて、なにより学生時代に戻ったような気分だった。

たくさんの人達と知り合い、語学だけでなく生活の知恵なども共有したり、なにかあれば助け合ったりなど、ESLでカナダ生活の基盤を作ることができたと言っても過言ではない。

語学学校ではまず英語レベルを図るのだが、自分は当然のように一番下のレベルからスタートした。そして大体同じ英語力の人たちと同じクラスになり、ひたすら英会話の授業を受けた。授業は週5日、毎日通えた。

基本英語しか喋ってはいけない。先生もカナダ人ということで、英語力を伸ばさずにはいられない環境が揃っていた。
定期的にテストがあり、クリアすれば次上のレベルのクラスへ行ける。

そんな感じで、どんどんレベルアップするのだ。
人によっては飛び級で上のクラスに行けたり、それは担当の先生が判断する。授業が終われば図書館に行って友達と宿題をする。その後遊びに行く。学校が休みの日も遊びに行く。そんな毎日で本当に楽しかった。

ガーデニングの仕事を始めた。時給は11ドルだった。

語学学校を卒業した後すぐに働き始めた。当初はカナダに来て仕事なんて出来るのかと思っていたが、運良く働き先を見つける事が出来た。

「e-maple」というカナダにいる日本人向けのウェブサイトがある。

ここで日本人向けに求人を出している会社も多く、自分もここで仕事を見つける事ができた。
全て日本語で書かれている為、自分にとっては本当に有難かった。

応募したのはガーデニングのお仕事。
時給は11ドルだった。

ここで1日8時間、週5日間働く事が決まった。仕事内容は庭の草抜きや庭の全体的な掃除、余分な木の枝のカット、花の植え込み、穴掘り、植物の配置移動、栄養剤や水撒き、ちょっとした庭の工事、荷物運び、芝刈り、その他補助など。

夏場の暑い日も、雨の日も、いつも泥だらけで仕事していたが、この仕事が本当に好きだった。そしてここで8カ月間働く事になる。カナダには各家庭に必ずと言っていいほど庭があり、ガーデニングのお仕事は需要が多かった。

お客さんには庭をしっかりメンテナンスするのが趣味だという方も多く、その大半がお金持ちだった。
だから職場先のお宅は本当に豪華な家が多く、いつも驚かされていた。
たまにお客さんから差し入れを貰える事もあり、こんな事があって良いのかといつも感謝の日々だった。

とある日、とんでもないことをしてしまったのを覚えている。
お客さんの庭にある特大サイズの花瓶を動かす時に、それを割ってしまったのだ。
一気に血の気が引いて、もう終わった。と思った。
しかしやってしまったことは仕方ない。

意を決して謝りに行ったところ、嫌な顔一つせず快く許して頂いた。むしろ最後、「正直に言ってくれてありがとう」みたいな事まで言われた。

もう感謝を通り越して何が起こったのか分からなかった。そんな事もあったり、ボスに旅行に連れて行って貰ったこともあったりと、本当にカナダ人はなんて気前がいいのだろうと思った。もちろん職場でも英語で会話する為、ここでもかなり英語力を上げる事ができた。

英語を身に付ける方法

最初は本当に英語が分からなくて全く指示されている内容が分からず苦労する事もあったが、ボスは日本人への理解も深く、本当にたくさん助けられた。

そして英語を聞いている内に、「あっ、これがあの時ESLで学んだ文法だ。」とか、「これがあのフレーズか。こういう時に使うんだ。」とか、まるでパズルのピースが組み合わさったかのような感覚が多々あった。

やはり、現地の学校で学んだ英語は使える物が多かった。そして不思議なもので、ある特定の人と話す事が沢山有ると、その人の英語がだんだん分かってくるのである。

これはどこにでも言える事で、学校の先生、友達、職場の人、お客さん、みんなそれぞれ英語を話すのだが、それぞれ違う英語を話す。

この人の英語は分かるけど、この人の英語は分からない、という経験を何度もしてきた。(出身国によるアクセントの違いもあるがここではそれを除く)
でも、その分からない英語を話す人と何度も会って話していると、不思議な事にその人の英語を理解出来るようになってくるのである。

要するに、どれだけ英語のボキャブラリーが増えるかという事なので、人によっては違うフレーズや使い回しがあるからボキャブラリーがどんどん増える。

むしろ、知っていた単語がただ聞き取れなかっただけという事もよくあった。だから、より多くの人と沢山、わからなくても良いから何度も話す、聞き返すという事が大事なんだと学ばされた。

家で勉強していても始まらない。とにかく人と話す事。間違いだらけの英語で、聴き取れない時は質問して、その時初めてこの単語の意味は何だろうって、調べたくなる。

自分が言いたい事が言えなかった時、初めてどう言えば良かったのか知りたくなる。
その繰り返しだった。もちろん始めの方は覚える単語が多すぎて大変だった。でも、別に英語を覚える事に急ぐ必要もなかった。分からないなら分からないなりに接してくれる人や助けてくれる人がたくさんいた。

どれだけ間違った英語を話しても、すべて寛容に受け入れてくれる環境が、ここにはある。だから、いろんな事にチャレンジがし易かった。まとめると、普段話している相手によって身に着く英語力も変わるということ。

ちょっとしたご縁にも左右される部分はある。誰と出会い、誰と時間を多く過ごしたかなど。
でも、どのレベルが良いとか悪いとかではなくて、必要に応じて話したい人と会話できるレベルなら、それでいいんだと思う。

トロントで出会った人々

いろんなイベントに参加したり、パーティに参加したり、趣味を楽しんだりしていると、おのずと色んな人に出会える。

自分がトロントで出会ってきた人種をあげると、カナダ人はもちろん、イギリス人、アメリカ人、韓国人、フィリピン人、ブラジル人、中国人、香港人、台湾人、ユダヤ人、ジャマイカ人、イタリア人、ポルトガル人、インド人、ベトナム人、という感じである。

他の人ならもっと出会っているのかもしれない。
それだけトロントは国際的な都市である。カナダ人の印象は、楽観的であまり細かい事は気にしない。そしてお互い許しあう事が多い。そう個人的には思った。ただその分言いたい事ははっきり言う方で、感情的だとも思う。ただ、喧嘩してもすぐに仲直りできる。

思いやりとウェルカム精神が凄い。おせっかい。愛情表現に長ける。
白人はみんなそんな感じだと感じた。

まあもちろん個人差はある。カナダ人の中には黒人も含まれるが、黒人に関してはさらにもっと楽観的な感じがした。ブラジル人やジャマイカ人はとにかく明るい人が多かった。アジア人はそれらと比べると全体的に若干大人しくなる。

ただ、中でもインド人と中国人は自己主張が強いという印象を持った。そして彼らは交渉事が得意である。フィリピン人、韓国人、香港、台湾の人は優しい人が多いなと感じた。

中にはアジア系カナダ人もたくさんいるのだが、彼らのほとんどはカナダで生まれ、英語しか話せないという人が多い。性格もカナダ人である。ざっと印象を語ったが、あくまで大ざっぱな印象であり、もちろん同じ人種でも一人一人色んなタイプがいる。

そして、たぶんみんながカナダの文化を身に付けたりして、ミックスされているように思う。ついでに日本人の事もいろいろ分かった気がする。外に出てみて初めて自国の事が分かると言うが、本当にその通りである。

トロントには日本人も他国ほどではないが多くいて、各都道府県から人が集まってきている。
なので、トロントに来て全国の日本人にも出会えるという感じ。

こちらに来て一番思ったのは日本がどれだけ凄い国だったのかということ。
生まれて育った国はその全てが当たり前になりがちだが、離れてみると初めて、日本という国の有り難みに気づかされた。カナダでも本当に数多くの日本製品が扱われているし、また、どこの国出身だと聞かれて日本人と言うだけで好印象を持ってもらえる。

それだけ信用が高い国なので、ビザの申請にも通り易かったりする。いかに日本のサービス水準が高かったのか、感謝しないといけないと思えたのは個人的に大きな収穫だった。トロントはいろんな人種が共生している街だ。

よくニュースでは国同士の政治的な問題などを耳にすることもあるが、実際に生きている人々はとても仲が良い。
というより、仲良くなるのに人種は関係ないというだけで、人気がある人はどこででも人気がある。

人種よりも、個人個人をよく見られているのは言うまでもない。いずれにせよ、いろんな国から来た人がお互い助け合って共生している。そんな世界をトロントで見る事が出来た。

ワーキングホリデーをして得られた事

カナダのワーキングホリデーによって手にした物は計り知れないが、ひとつはまず当初の目標であった、いろんな世界を知る事が出来た。

同じ人間なのに、国が違うだけで違う文化や違う考え方があるというのはとても面白かった。日本の良いところ、他国の人達の良い所を、上手く取り入れて、あーこの国の人達のこの部分は良いなあとか、この部分は日本は優れてるから大切にしようとか、凄く参考になることが多かった。

また、トロントという第二の故郷を手に入れた事でまたここに帰ってくる事もできる。自分の世界が大きくなった。考え方も、価値観も。そして何より、日本人である事の有り難みを知る事ができた。

これからはもっと感謝して日本で生きていく事ができる。
あとは母国語が話せるって凄い事なんだと気付かされた。ずっと言葉に不自由してきた者にとっては、言葉が話せる事でどれだけ人生簡単になるのかを体感してしまった。

以前日本にいた時に難しいと思っていた事も、今なら全て簡単に見えてしまう。また、以前日本にいた時は英語が話せなくて地元の外国人と話すのが難しかったが、今なら簡単に話せる。何よりお互いの文化を知った上で話せるのは大きい。

こんな風に、以前日本にいた時に考えていた事や目標が達成されて、やりたい事も出来た。以前のようなモヤモヤはもう無い。
以外と無理だと思っていた事も人間やれば出来てしまうものだという考え方にもなれた。

それは今後生きて行く上での揺るぎない自信になると思う。しかしカナダに来た当初、実は来た事を後悔した事もあった。言葉の壁でコミュニケーションが取れなかったし、生活様式やルールが分からなくて、聞こうと思ってもなんて言えばいいか分からなかったり、惨めな思いをした事もあった。

でも今は120%来て良かったと思っている。ここで出会った人達が、自分の人生に良い影響を与えてくれた。
あの頃行ってなかったとしても、いつか行っていたと思う。それが早いか遅いかなだけで。

それくらい、自分にとってはここで味わった経験が大きな財産だった。何より、ここでかけがえのない仲間に出会えた。
世界中に、友達が出来た。
今度は彼らが日本に来た時に、おもてなししたいと思う。

これからワーホリをする人へ

今ワーキングホリデーをしようかどうか検討している人は、何かしら人生の中でこの経験が必要だと感じているのかもしれません。僕の場合は一刻でも一秒でも早く行きたいという気持ちでした。

きっかけは海外に住みたい、英語を話せるようになりたい、など些細な物でしたが、おそらくこの経験が一番自分を成長させてくれるって、自分が一番知っていたのだと思います。

そして本当に大きく成長してしまいました。ここで予想だにしなかった事がたくさん起こるかもしれません。でもそんな時こそ周りの人や仲間の大切さに気付くものです。

そして一緒に壁を乗り越える事も凄く楽しいんです。そんな時にできた仲間は一生物の繋がりになるかもしれません。それが日本人なのか外国人なのかは後のお楽しみです。

あなたがここで経験した事は、全てあなたのものになり、武器になり、あなたの人生に深く刻まれるでしょう。ここには書いてはいませんが、こちらへ来てからいろいろな苦難を経験しました。

でも後から振り返ってみれば、その何倍もの良い事が全て得に変わって返ってきています。ただ、僕の場合入念な準備や情報収集をせず、熱に浮かされてこっちに飛び出して来たような部分があったので、入念な準備さえしていれば避けられたであろう苦難がほとんどでした。

ですからその辺りはカナダ留学センターさんが解決してくれるでしょう。アドバイスを聞いて十分な情報を入手したりして、いくつかの簡単な重要英語を覚えて来るなどすれば、全く問題ないはずです。それに、カナダはG7の国の中でも一番幸せな国だと「世界幸福度調査」で統計が出ていました。

きっと楽しい日々が待っているでしょう。是非満喫してください。ワーキングホリデーは働く事ができるビザですから、そこには大きなチャンスが秘められています。
そこで経験した全てが一生物の宝物になると確信しています。